語る
人は語る生き物です。何かに付けて何かを語る・・・。
人生観、主張、好きなもの、好きな事、拘り・・・。何かを口から語る事によって何かを伝えるというのは当然の方法ですよね。
でも、口で何も語らなくても、語れなくても、伝わるものもあると思う。
そして、時にそれは何よりも雄弁であったりします。
「好きだよ」という一言。「愛してるよ」という一言。それは、たった一言で世界すら変えるほどの力を持つ言葉・・・。
でも、その一言よりも力強いのは、“無言”という言葉かも知れません。
古来より欧米人は口で語り、日本人は背中で語る。
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桃李言わざれども下自ずから蹊を成す
(桃李不言下自成蹊)
意味
桃やすももは何も言わないけれど、その綺麗な花や実の下には自然と道が出来る。
それをフランスの諺で言えば
良いワインに宣伝はいらない。
(A bon vin point d'enseigne. )
となる。
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司馬遷『史記』(李広伝賛)より
太史公(司馬遷)は言う。
昔の言葉に「その身が正しければ命令せずとも実行され、その身が正しくなければ命令しても従われない」というのがある。
これは、李将軍のことを言っているようなものだ。私が李将軍を見たところ、慎み深く、田舎者のようで、口は、うまく話すことができないようだった。
しかし、李将軍の死の日には、天下、彼を知る者も知らない者も、皆強く悲しんだ。
彼の、その忠実な心は、本当に士大夫に信用されていたものだった。
諺に「桃やすももは何も言わないが、その下には、自然と小道ができる」というのがある。
この言葉そのものは、小さなことを言っているが、大きなことをも喩(たと)えられる言葉でもあるのだ。
中国前漢時代の名将軍である李広は、北方の異民族、匈奴から“漢の飛将軍”と恐れられた。
一方、部下に対しては思いやりが深く、行軍中、飢えと渇きに苦しんでいる時、たまたま泉を発見しても、部下が全員飲み終わるまでは、自分は決して飲まなかったし、食糧も部下全員にいきわたるまでは、手をつけることはなかった。
このため部下も心から李広を慕い、李広のためなら喜んで死のうとするものばかりだったという。 |
雄弁と無言・・・。どちらが良くてどちらが悪いという事ではありません。その状況もあるでしょう。
しかし、無言の言葉の意味を理解出来るか出来ないかは、自分次第という事でしょう。
2005年9月22日 (木) PM 23:48 (晴れ)
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