張良 子房
(丸山應擧筆 『張子房圖』)
前漢時代の漢の軍師。
戦国七雄の一つ韓の宰相の子孫であった。
軍師という知力を使う立場で活躍した人物であるが、若い頃は始皇帝暗殺を企てて失敗した事があるという実は熱い漢。
ある橋で謎の老人、黄石公より兵法書を与えられ、知略を用いるようになった。
張良の容姿は司馬遷曰く「婦人好女の如し」だと言う。
その頭脳から出る策は軍事に留まらず、劉邦の事績のほぼ全ての領域に渡っており、
「張良がいなかったら劉邦は天下を取れなかった。」
と言うのは衆目の一致する所だろう。
張良を詠った李白の漢詩
(下?(かひ)の?橋(いきょう)を経(へ)て張子房(ちょうしぼう)を懐(おも)う)
李白
子房(しぼう) いまだ虎嘯(こしょう)せざりしとき
産(さん)を破(やぶ)りて 家(いえ)を為(おさ)めず
滄海(そうかい)に 壮士(そうし)を得(え)て
秦(しん)を椎(つい)す 博浪沙(はくろうさ)
韓(かん)に報(ほう)ずるは 成(な)らずといえども
天地(てんち) みな震動(しんどう)す
潛匿(せんとく)して 下?(かひ)に遊(あそ)ぶ
豈(あ)に智勇(ちゆう)にあらずと曰(い)わんや
我(われ) ?橋(いきょう)の上(うえ)に来(き)たり
古(いにしえ)を懐(おも)うて英風(えいふう)を欽(した)う
ただ見(み)る 碧流(へきりゅう)の水(みず)
かつて黄石公(こうせきこう)なし
歎息(たんそく)す この人(ひと)去(さ)りて
蕭条(しょうじょう)として 徐泗(じょし)空(むな)しきを
訳
張良がまだ有名で無かった頃、自分の家の事などは省みなかった。
彼は蒼海に屈強な若者を得て、何と!
博浪沙で始皇帝に鉄椎を投げ暗殺を企てたのだ!
祖国韓の為のこの復讐は成功しなかったが、
この張良の心意気には天も地も皆が仰天したのだ!
その後彼は地下に潜り悠々としていた。これを知勇と言わずに何と言おうか。
私は彼に縁のあるこの橋の上に来て、昔を懐い英雄を慕わしく想う。
しかし目の前には青い水が流れるだけで、まさか黄石公が姿を現す筈もない。
張良が去ってからというもの、この除泗(地名)一帯が寂しくなったのを想うと嘆息が出る。
婦人のような容姿など全く関係なく、とんでもない大きな発想とこの度胸!
これは紛れも無く漢だ!素晴らしい!
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