結果
お久しぶりです。この欄の記入も久々ですね。今回のテーマは“結果”について。
オリンピックも本日で終わり。日本はどうだったのでしょう?良かった点、悪かった点、色々ありましたね。
水泳では北島選手の世界新の二連覇は見事でしたし、ソフトボールは自分より強い選手と戦い、勝利できた点が評価されていますね。
悪かった点では、マラソンで棄権があったり、男子柔道や野球で散々という事になってしまいました。
スポーツ選手から色々な点を学ぶ事が出来るのは事実と思います。
スポーツは超絶なレベルになると、慢心や過信では決して結果を出す事は出来ません。しかも、オリンピックのような国際試合となるとそれはそれは大変ですよね。
結果を残せた選手というのは全員それなりの努力、特別の努力があります。前回は良かった。しかし、今回結果を残せなかったという選手には、特にその課題が重く圧し掛かったでしょうね。
その結果を生かして努力して“課題を乗り越えられるか?”とか、“どうして負けたのか?”など考えると、確かに次回への糧となります。
ですので、結果の悪い試合であっても、“内容を正直に見る”というのはとても大切ですし、それはまた、面白いものです。 大会の途中で公表された言葉
「感動」敗者にも敬意を
北京オリンピックでは8月16日午前9時までに、332のメダリストが決まった。
私たちは、マイケル・フェルプス選手のように、奇跡を起こしたような選手たちに喝采を送ると同時に、初戦で敗れた選手や、五輪に出られなかった多くの選手を忘れてはならない。
そうした選手たちも、かつては優勝した選手たちと同じように努力し、競技場で自分の技を思う存分披露する夢を抱いていた。
しかし栄誉と現実の悲しみに面した彼らにとって、失敗という言葉は永遠に避けたい言葉だろう。
五輪競技場での勝負はとても大切だ。しかし偉大な人格と公平な競争への尊重はさらに主唱される。
「同じ世界、同じ夢」という理想の中で、負けた選手たちは英雄的な姿勢で、それぞれの角度からオリンピック精神と生命に対する追求を解き明かしている。
試合の残酷さと競技の公平さは、スポーツの永遠の魅力だろう。選手が競技に身を投じることは、つまりこの残酷さを選択したということだ。
私たちが目にするのは、表彰台に上がった時の選手であり、自分が定めた目標に進んでいる時の選手たちは私たちの目には触れない。
これはオリンピック精神の感化と鼓舞であり、スポーツ競技の強靭さと執着さでもある。
敗者たちの失意と努力が勝者の実力を向上させ、彼らを本当の強者として世界の競技場に出場させる。
そういう意味でも、敗者の貢献はオリンピック精神を豊富にしている。
オリンピックでは成敗を論じず、成敗で英雄を論じない。これは私たちが抱くべき人文精神と大国的な心理状態だ。
私たちはメダルを獲得した選手に拍手を送ると同時に、オリンピックに向けて努力し、敗れた選手たちにも注目しよう。
エアライフルで金メダルに輝いたカテリナ・エモンシュ選手が、4位になった杜麗選手を抱きしめ、花束を贈ったのと同じように、
私たちも全ての敗者に理解と敬意、寛容さを捧げ、私たちの誠意で力のない者に力を注ぎ、悲観的になっている者を前を向かせよう。
「チャイナネット」2008/08/17
中国の英雄である、ハードルの劉翔選手の“結果”は中国国民のみならず、全世界を震撼させた。
だが、同時に中国国民の意見は、ストレートである。形式的な礼儀だけが、賛辞ではない。
それだけ国民は彼から励ましを得ていたと捉えるべきだろう。
無論、棄権であっても“負け”である。結果を残した選手も居るからだ。
さて、ハードルは誰が勝ったか知っていますか?(笑)
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面白い?自分が勝った時、結果を残せた時だけが面白いのではないのか?と思うのが普通でしょうね。
しかし、そこは人間もっとオープンな馬鹿にならないと駄目だなと葛城は思います。恥かいてナンボです。
負けた時は正直悔しいですし、悲しくもあります。しかし、弱点という課題が明らかになるというオマケもあります。
そこを真剣に考えられたら、次の結果は違ったモノになるでしょう。例え故障というアクシデントであったとしても、それも結果です。
故障しないような練習をしなければならなかったという課題です。
いずれにせよ、トップに君臨するというのは凄い事ですね。
そして、そういう試練に打ち勝ってきた人々は恐らく“人格者”でしょう。人に勝たずに、自分に勝たなければ、結果は残せないからです。
葛城的には色んな意味で励まされた北京オリンピックでしたよ。大成功だったと思います。
2008年8月24日 (日) PM 20:50(晴れ)
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