よく、「RZ350R、250Rは不人気車なので・・・。」というコメントを聞きますが、そうなのでしょうか?
はい、そうです。(笑)不人気車でした。
私が単車にのめり込んだ90年代初期など、RZ-Rはゴミ扱いでしたね。(涙)
何故ゴミ扱いだったのかを語らせて頂ければと思いました。まず、日本でRZ350Rが登場したのが1983年〜1985年の2年間です。
250Rは1983年〜1988年の約6年間。勿論、在庫などもあったので新車販売期間はまあ、1990年までと考えてよいでしょう。
この80年代という時代は単車の世界では激動の時代なのです。
特に1983年という年は変化の年でした。80年代前半、市場で人気があったのは、オンロードバイクでは、4ストローク4気筒の単車でした。
そして技術革新の時代でもありました。
スズキGS400、GT380やカワサキKH400、ヤマハRD400、ホンダCB400Fドリームなどは、70年代後半の名車であり、
ホンダCB400Tホーク系、スズキGSXのザリ、ゴキは80年代前半までの単車ですが、実際的な速さではこれらの2気筒が街乗りでは速いのですが、
なんというか“時代は4ストロークの4気筒”を求めていたんですね。
(ヤマハSRは1978年誕生ですがちょっと世界が違うかなぁ・・・。笑)
結果として、カワサキZ400FX、GP、GPz。
ヤマハXJ。
ホンダCBX、CBR-F。
スズキGSX-Fなどの空冷4発に、
水冷四発レプリカ系では、
スズキGSX-R。
ヤマハFZR。ホンダVFR、RVF、CBR。
カワサキGPZ-R。
これらが4ストロークでは人気でした。
しかし峠では2ストも人気でヤマハTZR。スズキRGV-Γ、RG-Γ。ホンダNSR。などが2ストレプリカでは人気でした。
信じられない事ながら、80年代は1年前の単車は型落ちとしてダサいとされていた時代だったのです。
技術革新が凄かったので訳の分からない技術がモデルチェンジごとに盛り込まれていましたね。
では、ここに出なかったRZ-Rは、上記のモデルと比較して技術力、総合力で劣っていたのでしょうか?
答えはNOです。むしろ勝っていました。
では何故不人気だったのか?
要は“時代に乗りきれなかった”という事なのです。
RZの初期型は79年発表のモデルで1980年〜1982年まで生産されました。
これが2ストロークでは、爆発的に人気のモデルだったのですね。華麗な車体に2ストらしい加速、あまりにも素晴らしい出来でした。
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82年式 RZ250 YSP限定カラー
XJと同じく、YSP限定カラーがRZでも販売されていました。
更にオプションで、ハーフカウルとアンダーカウルがありました。
当時のヤマハオートセンター(現レッドバロン)限定の青のメタリックのRZというのもありました。
ちなみにRZ-Rの限定は国内では250にあるのみです。(涙)
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で、その“RZを超える”という点が課題の1つとして創られたのがRZ-Rなのです。
しかしどんな世界でも半端な2代目というのは初代を超える事は出来ないのです。(笑)
決して2代目が悪い訳ではないのですが初代の印象が強すぎて、強烈に比較されてしまう訳ですね。しかも“ネガティブな比較”と成り易い。
RZ-Rは確かに先代と比較すると、野暮ったく思える。(笑)でも思えるだけで実際はどうなのか?
実力的にはRZの弱点を全てにおいてカバーしている。
YPVSエンジンでパワーアップされ、
フレーム強化してそれをアピールする為に赤フレームに塗装され、
更に見事にデザインされている。
さらに最初からハーフカウルを付ける事でデザインされているから初代にハーフカウルを付けた場合と比較するとRZ-Rは意外にもスマートです。
カウルを外すと初代には敵いませんが・・・。
そして整備し易いし何よりも速い!
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85年式 RZ350R KennyRoberts レプリカ(48H)
いやーカッコいいですねー!ケニー・ロバーツレプリカですよ!
カワサキZ1000Rローソンレプリカに対抗心丸出しですね。(笑)当時バリバリのケニーですから。しかし、何で日本で売らなかったのでしょうか・・・。
ケニーさんのサインがハーフカウルに左右で入っています。上の初期RZと比較しても、決してデザイン悪くないと思いませんか?
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・・・。ですが、1983年当時、時代は既にRZではなかったんですね。
峠の、いわゆる若い走り屋界での人気はスズキRG-Γでした。
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83年式 SUZUKI RG250Γ(GJ21A)
いわゆる初代Γ(ガンマ)である。
よく、「レーサーレプリカはΓで始まり、Γで終わる」と言われます。当にその通り!スズキというメーカーは面白い事を時々やります。
その後RGV250Γ(VJ21A〜VJ23A)に引き継ぎます。最終型のVΓは、何とフルモデルチェンジが1996年です。(笑)
みんながレーサーレプリカ戦争終わったと思っていても、スズキだけはフルモデルチェンジする勇気に敬服致します。
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RG-Γの低いハンドル位置、
そしてフルカウル、
さらにアルミフレーム、
とどめに16インチホイール。
これに衝撃を受けたのです。
そしてホンダとヤマハがスズキRG-ΓをNSRとTZRで追撃する事になりますが、これがいわゆる“2ストレプリカ戦争”です。(カワサキは・・・。笑)
RG-Γの出現によって、市場で求められるのが今までの単車設計のコンセプトとは異なり、
@低いセパレートハンドルに低い車体
Aアルミフレーム
B斬れるように曲がる小径ホイールと太いタイヤ
が必須アイテムとなってしまうという訳です。それはつまり、
求められるのが“安定感ある乗り易さ”ではなく、“安定感ある攻め易さ”になってしまった事を意味しました。
当時、峠では低い車体でタイヤの端から端まで使ってフルバンクでコーナーを高速でヒザを擦りながら曲がるのが男とされていました。
しかし、膝を擦れる単車というのは上記のΓなどのように楽に膝を擦れるように設計されている訳です。
私はこれをGPz400Fでやろうと頑張ってましたが、ライディングポジションがいわゆる“無理ヒザ”にしかならない・・・。(笑)
全然速く走れない。知人のGSX-Rは楽々ヒザ擦りでしたが、今考えると“当たり前”ですよね。(汗)
そう、時代はそういう走りを求めていた訳です。で、その当時のRZ-Rの立ち位置は?というと、“最悪”となる訳です。
RZの進化系とはいえ、既にRZが時代遅れ。それが1983年だった訳です。フレーム補強してエンジンYPVSにしようが、RRでフルカウルにしようがセパハンにしようが、車体の構成が低くない。フレームも18インチホイールでの設計。18インチでは膝を擦るのも大変だ!
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84年式 RZ350RR(52Y)
RZ350Rのフルカウルモデルである。
キャブレターも初代350Rとは異なる。他にも、メーター、ハンドルなどに違いがある。
結論として最強のRZとは350RRなのである。
ちなみに、国内物の350Rで赤フレームではないのはこのフレンチブルーのRRだけである。
葛城は最初これを探しましたが、“無い!”そして逆にハーフカウルの赤フレームのパイプハンが愛しく思えてくるのが不思議です。
しかし、これは好みの問題ですね。(笑)
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さらに、今の若者には信じられないかもしれませんが80年代後期というのは“値段が高い物を求める時代”だったのです。
RZ350Rや250Rは他の単車と比較すると値段が安かったのです。
値段が安い=車体が悪い
と、思い込んでしまうのですね。実際には余計なパーツを組んでいないため値段が安いのですが、それがゴージャス感に欠けてしまうという訳です。
別の角度から捉えてみてもRZ-Rは違います。それは、“族車に成れない”という点。
先代RZは、権田二毛作も乗ってるように、族車としても人気でした。正確には族車っぽい改造も可能でしたといった方が正確かな?
しかしRZ-Rはトッポい感じはありません。外観的にはあくまで真面目なイメージですね。
とはいえ個人的には初代RZやRZ-Rに三段シートとかはどうやってもスタイル的に在り得ないと思うんですけどね・・・。
逆の捉え方では、族車が好きな人はRZ-Rは嫌いと思います。
このようにRZ-Rは完全に時代に乗り遅れてしまい、不人気となる訳です。
その後TZRに最速への道を譲る訳ですが、それでもRZ-Rが販売され続けていた事に男気を感じるのは私だけでしょうか?
(まあ、在庫抱えていただけと言えば、男気もヘッタクレも無いですが・・・。笑)
そして不人気を決定付ける別の要因として、350Rの場合、250ccオーバーなので車検があります。
当時はユーザー車検が今のように一般的ではありませんでした。更に80年代当時は自賠責の値段が高く今の倍位の値段。
当然、250R若しくは違法の250改350Rエンジンの方に人気が集中し、350Rは部品取り車となる訳です。(涙)
しかし、RZで気持ち良い回転数で公道を走れば250だろうが350だろうが、どうせ道路交通法違反な訳で。(笑)
気持ちは分からなくはありません。
そして350ccという中途半端な排気量。「何で399ccで設計しないのか?」という当時の声が聞こえてきそうです。
これは、400ccにしてしまうと、単純にバランスが悪いんですね。1シリンダーで175ccだから良いのです。ピストン大きくしすぎるとエンジンが回らなくなるとは、当時の若者は誰も思わない。
2ストに限らずエンジンフィーリングを味わう為には、排気量は“小さい方が有利”なのです。
何故なら公道で上までストレス無く回せるからです。
1シリンダー175cc、そして2つ並べて350ccは、伝統の排気量であり、レギュレーションなのです。
結論として、言えるのは350Rは当時の一般ユーザーには恐ろし過ぎたという訳です燃費、維持費等、色々な意味で。(笑)
しかし、当時のカタログなどを見ると開発コンセプトは、
“知識豊かな(エンスージャスト)エンスージアウト”に向けて開発された。とあります。
エンスージアウトとは?バイク用語辞典にはこうあります。
バイクに情熱を注ぐ人。バイクにすごく詳しい人。 “エンスージアスト(enthusiast)”とは、
そもそも“熱心な人”という意味だが、バイクや車の世界では、前記のような意味で用いられている。
オートバイ雑誌によっては“超エンスー”とか
“エンスーな人”というように略して使われることもある。
ちなみに、この用語辞典に収録されている単語を全部覚えると、エンスーに一歩近づける。http://www.weblio.jp/cat/engineering/ymhby
そう、RZ350Rは、実は玄人向けの単車だったのです。
・・・。
考察すると、そんな訳で不人気となったRZ-Rですが、今となってはこのRZ-Rの決定は間違っていなかったと言えます。
やはり過激なレプリカ戦争は若い走り屋には受け入れられましたが、全ての単車乗りに受け入れられるモノではなかったからです。
それは、時代に受け入れられていただけで。時代が終わればその時持て囃されていた存在も終わります。
その時代が終わると、時代に加わらなかったモノの価値というのが不思議と出て来ます。
いわば、時代に流されなかった、別の言い方では、流される必要が無い自信があったという事です。
18インチと鉄フレームと2ストパラツインに拘ったRZ-R、(でも、最終の250Rは17インチですが・・・。笑)
それが再評価され、旧車市場でも理解されつつあるというのは嬉しい限りです。
時代のニーズではなく、良い単車を創ろうとしたからこそズレた。これは実は後のカワサキゼファーが売れた開発コンセプトに通じるんですよね。
2ストの基本のような単車です。そう、RZ-Rは車体が悪くて不人気になったのではなく、時代が悪くて不人気になったのだと私は思います。
そして時代はRZ-Rの存在していた意味を理解出来るようになりつつありますね。
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